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菅野所長のエッセイ:「こうれい」尽くし

 この何週間か、こんな調子で仕事をしてたら身体が持たないんじゃないかと不安がよぎったのだが、ようやく今日で一区切り。明日明後日と遊びに行くので、きっとものすごく疲れるがプレッシャーはない。去年は震災で中止となった恒例のゴルフ。古い友人たち10人くらいで、20年以上は続いているものだ。すなわち高齢のゴルフといったほうがいいのかも。

 花粉症ではないが、外を歩いていると意味もなくくしゃみが出るので、そうとう花粉が飛んでいるのではないかと思う。マスクしている人も多いし、これも春の恒例だな。東京は昨日今日とすこぶる天気がよい。31日には桜も開花するらしい。満開はずっと後だが、今年はお花見が多少盛り上がるのだろう。僕はうるさいので好きじゃないけどね。それでも去年はそんなことをやってる場合じゃなかったから、楽しみにしている人にはうれしい話だ。今年は春が遅かったなあ。

 父親が死んだことと、体力の衰えを感じていることでか、最近はにわかに自分自身のことを考えることが多い。今はいいけど、あと10年もしたらどうするのか?とか。そういうことは一切考えなかった人間にとって、それはひじょうに厳しい精神状態を作り出す。つまり不安になるだけのことなのでそろそろ終わりにしたいものだ。暇があると、田舎のほう、海の近くの住宅物件を探しているのだが、何も今買ってもしかたないしね。

 振り返れば、こういうのは10代の頃と似ている。これから先何をすればいいのか全然分からず、何もせずに酒だけ飲んでたみたいな日々、うつろな気持ちの中に不安を紛れ込ませて浅い眠りに落ちるくらいのことしかできなかった。
 それと違って今はいつも目の前に仕事があるのだが、言うならば止まらない電車に乗っているようなものかもしれない。まあ乗ってしまったものは降りられないとあきらめ、終着駅まで行ってみるかと。

 こういうのは自分の世代は皆そうなんだろうが、僕と違ってみな計画というものをきちんと持ってるもんな。話をしても参考にはならないだろう。まったく人生というのは次から次へと無理難題を押しつけてくるものだ。が、行き当たりばったりの生活をしている人間にとって当然の帰結ではあるな。

 とにかく、明日からを境に、再び先のことはあまり考えない、いつものスタイルに戻ろうと、やや頼りなく思うのだった。いつでも人生はこれからだと。そうやってきて何とかなってもきたわけだからね。人生多くを望まなければ、たいがいのことは何とかなる。僕が好例だ。いまちょっと分かりかけたが、自分のモデルになりうるのは自分自身しかいないんだなと。
 

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