腰の具合はまた少しずつ快方に向かっているようだ。朝にならないとよくわからないのだが、今日は頸椎の具合もいいせいか、首や背中もさほど痛くないし。次の休みを経ればまたよくなるような気がしないでもない。
今週は何があったかなあ。韓国で出国禁止になっていた産経新聞の記者が解除されたが、これに対して官房長官が当たり前のことだと強気な発言をしていたが、やっぱりここは「韓国政府のご寛容に感謝したい」とか言っておくのが大人というものだ。首相サイドはとにかく強腰であればいいというわけだが、そうやってさらに面倒を引き起こすのではないだろうか。
こういう処置は、韓国としては意趣返しのようなもので、いろんなかたちで日本に一矢報いたいということだろう。あんまり騒ぐのもどうかと思う。日本はよく「恥の文化」と言われるが、そもそも韓国の精神文化とは「恨の文化」である。今の大統領もどこかの演説で「被害者と加害者の立場は千年経っても変わらない」と言っているほどだ。
「1000年」ですぞ、「1000年」。慰安婦問題なんぞ100年も経ってない。
ソチのオリンピックの女子フィギアでキム・ヨナが銀メダルに終わったことも、いまだに韓国のファンは「疑惑の判定」だとして、スケート会場で抗議のプラカードを掲げている。それくらい彼らの感情というのはおさまらないのである。こちらとしては、そういう人たちなんだと理解しないとね。日本と違って、大国から散々な目に遭わされてきた歴史があるわけで、そういう精神文化が根づくのもしかたない。日本はアメリカに占領されただけだもの。
しかしながら、日本はいまだに占領され続けているのではないかという疑問もないことはない。中国主導のAIIBへの不参加も、G7では日本とアメリカだけ。要するにここでもアメリカの言いなりになっているわけで、経済も軍事もアメリカ依存ではたしていいものか。いいわけないよな。敗戦によって占領、属国になるまではわかるが、そこからいかに自立していくのかが国としての大きな課題だと思うのだが、ここへきて属国化はさらに進んでいるようだ。先に日本は「恥の文化」と言ったが、これはそもそも戦前の話。何十年でこの文化も風化した感じ。柔軟と言えば聞こえはいいのだが。
そのひとつの原因がマスコミにある。昨日特派員協会で古賀茂明氏が会見を行ったが、これに対する報道は少ない。みな自民党を怖れているのだろう。会見の中で古賀氏は「圧力をかけている側は圧力と思っていない」、「これはいじめと同じで、いじめる側はいじめているとは思っていない」と述べた。これはまことに正しい。ついでに言えばセクハラ、パワハラもそうである。前にここで紹介した、権力を握る者の「傲慢」は、人格障害のひとつであるという見解が思い起こされるな。
例の報道ステーションの後にテレ朝の会長に対し「公正中立な報道を」との遺憾の文書が届いたが、これが圧力でなくして何なのか? 今日はまたNHKとテレ朝の幹部が呼び出されたということだが、そんなことを平気でやってしまう政府というのは、中国や韓国と変わりない感じである。つまり、産経の記者に対して韓国政府がやったことと通じているわけであって、官房長官は自分の足下は見えていないということだ。
そんなこんなで現政権ではますます報道の規制がかかっていることは事実で、国民は何が正しい情報で何が正しくないのかを判断する力(メディアリテラシー)を上げていかないとね。信頼できるテレビ局も新聞もないと言ってもいいんだから。くだんの特派員協会会見でも外国メディアの感想は、どの国でも政府の圧力はあるが、それと戦うのがジャーナリストというものだと、つまり権力にすり寄る日本のメディアはどうかしているというものだった。彼らはそのことの深刻さをよくわかっている。ほんと、首相や閣僚との会食やゴルフにいそしんでる連中ていったい何なんだと。
さてしかし、もっと深刻な事態とは何なのか?
「圧力をかける側はそれを圧力と思っていない」、それはあるが、さらに深刻なこととは、「圧力をかけられている側がそれを圧力と思っていない」ことである。これこそまさにM・フーコーが看破した近代の権力構造のありかたではなかったか。
さて、競馬新聞の予想というのもほぼ信用できないが、先週でルージュバックで完敗したのは僕自身の責任である。今週は皐月賞。今回こそは大丈夫だと思うぞ。
大本命に⑧サトノクラウン、以下、①ブライトネンブレム、②ドゥラメンテ、⑤リアルスティール、⑦キタサンブラック。他は要らない。