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菅野所長のエッセイ:当たり前のメソッド

ロードレースでは欧州のワールドツアーが始まった。そのパリ~ニースはほとんど観られなかったが、最終日を見返してみると、コンタドールが頂上ゴールの残り5キロから3回のアタック、最後は力尽きたが、他のステージでは最終の平坦スプリントでアタックしたりして、今年はものすごいやる気を見せている感じである。と思ったら今年で引退を表明してのだった。これからはJスポーツをちゃんと点検しておかないといけないな。それにしてもロードレースは面白い。

これに比べて日本のスポーツはあいかわらず。予想以上になでしこジャパンの低調は深刻だったね。佐々木をもっと早く解任できていればよかったのだが、まあ、実績的にしかたなかったか。結局この人はチームを作ることはできない。できあがっているチームを管理することには長けていたかもしれないが。そもそもは、前任監督がオリンピック出場権を獲得してから引き継いだ人事だったからね。澤も全盛、宮間も上り坂、長島と王がいるときだったら誰が監督をやっても勝てるというのと同じだったんだよね。次期監督を誰がやるかは知らないが、向こう10年は難しいのではないか。

柔道では五輪選考を透明化すると言う。柔道にそういうものを求めている人は少ないと思うが、おそらく内部事情もあるのだろう。でも、他の競技でもそうした動きが出てくればいいのか。

その最たるものは陸連であるが、ようやく決まったマラソン選考も例によって泥沼になりかけた。強い選手を選ぶことより、スポンサーからの援助が目的になっているのだからしかたない。陸連に限ったことじゃないが、それが昔からの体質だし。一発勝負にしたらスポンサー様がお怒りになると。だからせめて、競馬みたいにグレード制を導入するといい。世界選手権はGⅠ、福岡国際はGⅡとか、GⅠで優勝したら10点、GⅡなら5点とか、そうやって総合点の多い選手から五輪出場とするとかね。タイムのほうは季節やコースによって違うから加味しないとか。

箱根駅伝はそうした腐敗体質の象徴なので、僕は一切見ないのだが、去年と今年を連覇したのがかつては弱小だった青山学院。この監督が昔サラリーマンで、ユニークな指導をした結果だという。しかも、箱根駅伝を全国の大学に開放したほうがいいと言っていると。ほう、それはなかなかかなと思って著書「逆転のメソッド」を読んでみた。

うーん、とくに何だと言うことはないなあ。期待していた分がっかりしたのかもしれないが、とくに革新的なものはない。あえて言えば、選手を獲得するときに、タイムだけじゃなくて「青学カラー」に合う生徒を選ぶとかかなあ。サラリーマン時代の経験から、選手個々に自己達成目標をつくらせるとかもそうなるの? 世間一般では当たり前のことを、陸上部でやっているという感想しか持てなかった。しかし、ということは陸上部とか体育会というものがいかに当たり前じゃないことを物語っているんだろうか。

どのスポーツでも選手の「自主性を育てる」ってことが課題となるようだけど、それは日本のスポーツが学校教育の中に組み込まれ、「体育」となってしまったことに源があるからだろう。もちろんそれで悪いことばかりでもないかもしれないが、楽しむという姿勢は失われるもんな。

人よりも秀でたいと思ったら、人がどうしていようと関係なく、自分で練習したり研究したりする姿勢がないとね。それはスポーツに限らない話で、仕事でも何でもそうだ。僕らの社会では、勉強でもスポーツでも仕事でも「やらされている」という意識がどうしようもなく刷り込まれてしまうんだろうね。でも、仕事って楽しいんだよね。自らの意志でやっていれば。そうならないのは、精神的にいまだ思春期的な課題から脱していないからであって、それを簡略したものが「甘え」ということだ。

世の中のお父さんたちが子どもに仕事は大変だぞ、社会に出ると甘くないぞなんていうんだろうが、「仕事は楽しいぞ、おまえはまだ仕事ができなくてかわいそうだなあ」くらいのことを言ってやれっての。

無気力な最近はケーブルで日本の古いドラマをよく見ている。そういう時間に家にいないので観ることはないが、ときに掘り出し物がある。「家政婦のミタ」とか「半沢」みたいに評判になったわけじゃないが、芯があるのだ。たとえば「空飛ぶタイヤ」なんてのはなかなかのもので、僕好みだったな。なんかこう希望がわいてくるんだよね。ちょっとつくりは大甘だが「プラチナタウン」とかも。

何て言うのか、日本人の良心が創り出しているようなドラマというかね、まだそういうものがあると思うと少しホッとする。「空飛ぶタイヤ」は放送当時どんな評判だったんだろう? 僕としてはイチ押しだけど。

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