ご予約専用フリーダイヤル
0120-556-240

菅野所長のエッセイ:民度、政度、官度

うーん、このコラムのことをすっかり忘れていたなあ。書くべきことも書きたいこともないのだね。競馬で大穴を取り損ねたり、いいことないし。
だいたいこの季節はいかん。暑いし、蒸すし。今年の梅雨は気温が高いのでは?それに、いろんな税金を払わなきゃいけないのもこの季節だ。これがけっこうな金額になるので頭が痛い。学会費関係もばかばかしい。もうそういうには辞めるけどね。

さすがに自粛、自粛が続くと、別に行動的な人間でなくとも嫌になる。とくに東京は「東京アラート」とか、あまり意味のない設定をしたりするしね。ま、知事選が近いので何かアピールするようなことをやっときたいんだろうが。
国も都も基本の発想は一緒というのが気に入らないんだな。「自粛」の次は「自衛」とか、言葉を換えてはいるが、結局国民に感染の責任を押しつけるということから離れようとしない。いわゆる「自己責任」ってやつに行き着かせようとする。政治家なら、なんて言っても詮無いが、「政治責任」に持って行くようにしなさい。つまり、自己免責を布石していること、そして国民から自由を奪っているということの認識がないのだろうな。
そりゃあ最初の頃は、こういうときには自由気ままにやることがいけないとみんな思う。致し方ない、いまはがまんだと。日本ではそう考えてそれを自ら実行する人が世界から見て飛び抜けて多いわけだ。
ずっと以前に評論家の竹田某がこれを「民度が高い」と言ってSNS炎上し、すぐに削除したが、今回は麻生太郎が同じことを言って同じく罵声を浴びた。
まあ、そう言いたくなるのもわからないではないが、前にも書いたようにそれは日本人の土着的な共同態というものなんだよね。ただし、政権のペットである麻生が言うと面白い。それは正しい。麻生太郎の民度よりも一般国民の民度ははるかに高いのは明白だからだ。麻生が殊更に低すぎるということもあるけど。

それはともかく、もはやこれ以上の自粛は国民の自由を奪っているということに気づいてもいいんじゃないのか。国民も奪われていると考えてもいいんじゃないのかな。アメリカで人種差別のデモに参加する人々は、「感染のリスクがあるのはわかっているが、それでも、今は声を上げなければいけない」と口々に答える。
これに対して、自粛することが民度が高いなどとはとても言えないよな。そして、自粛させるだけしか能のない政治とは、そのレベルがいかにも低いものであるかと考えるよね。「自粛警察」なんて揶揄されている人はこれにはまってしまう人だね。

 

民度に対して、「政度」とか「官度」とかの尺度もつくったらどうか?
コロナで明らかだが、これは世界的に見て相当低いよ。ブラジルの次くらい?

最初に戻る