梅雨明けも間近であることが感じられる中、夏の野菜や果物のおいしい季節になりましたね。
夏の果物の代名詞といえば、スイカ。
夏のおやつとして、水分補給として、レジャーのお供として、時には冷麺やひやむぎのトッピングとして大活躍の、見た目も鮮やかで目にも楽しい、老若男女に長年愛される一品です。
ところが残念なことに、私は、このスイカが、昔から今一つ好きではないのです。
訪問先等で出していただいたら食せるのですが、自ら進んで食べる気にはあまりならない。
(スイカ農家の皆さんごめんなさい。あくまで一個人の食の好みなので気にしないでください)
が、毎夏各所で直面する
誰か「スイカ食べる?」
私「えーっと…はい、いただきます…」
という微妙な空気感と細やかな葛藤(ここではっきりあまり好きではないと断った方がいいのかいやでもそれはせっかくの厚意を無にすることになるから申し訳ないしぐるぐるぐるぐる…)と決別すべく、この度、一切れのスイカを食しながら、「なぜあまり好きではないのか」ということを密かに考察してみることにしました。
まずは、食すというプロセスで感じたのは、
「ああやっぱり種を出しながら食べるのって面倒くさいなー、しかも全部取り切れなくて時々口の中に残ってたのをがしっと噛んでしまうとちょっとショックだし、だんだん食べ進むとかぶりついた時に口の周りが汚れてしまう…」
という、ひとえにおおざっぱで面倒くさがりの私の性格を反映しただけの心の声。
そして、肝心の味については、
「最初の4cmくらいは甘くておいしい。でも皮に近づくと白っぽくなって甘くなくなって、あーやっぱりすいかってウリ科なんだなーと思わされるんだよねー。カブトムシになった気分なんだよねー。ああでもそういえば子供のころ白い部分を残そうとしたら親に“もったいないから食べなさい”って言われて仕方なく食べてて、あーその嫌々感がスイカのイメージにリンクしてるのか」
という、過去の記憶と単なる私のイメージを反映しただけの心の声。
しかも後日調べたところ、最近では、スイカは“カブトムシにあげてはいけないエサの定番”になっているらしいという驚きの事実を知り、“カブトムシになった気分”という私のイメージすら脆くも打ち砕かれました。
ここまで考察した結果導き出した結論
『スイカに罪はない。私の感じる否定感情は、自身の過去記憶と決めつけ的イメージと性格という、内的主観が作り出した幻想である。』
…スイカ農家の皆さんごめんなさい。これからは、もう少しニュートラルな心情でスイカと向き合ってみたいと思います。